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「恋人たち」 (頼久)
月明かりの中、長身の武士は急ぎ足で歩いていた。 目指すは、西の対の屋。 彼の愛する少女の部屋だ。 (思い返せば――――) 今日一日、朝から彼女に会っていない。 普段なら、早朝に起きて剣の鍛錬をし、藤姫にお目通りし、本日の龍神の神子のお供を申し出て、そして、愛しい神子を迎えにいく。 そして、一日、その御身を自らの命に代えても守るためにずっとそばに仕え、夜になれば、またその身を守り、彼女が安らかに眠れるようずっと警護にあたる。 これが源頼久のここ数ヶ月の常なる日程だ。 しかし、今日は違っていた。 久しぶりに左大臣の警護の任務が頼久に回ってきた。というのも、前日に武士団の一人が大怪我をしたため、その代わりに頼久が出仕しなくてはならなかったのだ。朝早くから左大臣邸を後にし、戻ってきたのは夕方近く。 任務の最中も、あかねのことが気がかりで仕方がなかった。 (今日は、神子殿はどなたとお出かけになられただろう。天真は違うと言っていたが・・・) ――そう、天真といえば・・・ ようやく屋敷に帰ってきて、あかねが戻ってきていることを知った頼久は、まだ朝から顔を見ていない愛しい神子に会いに急いでいた。そこを天真に呼び止められたのだ。頼久たち武士団は朝早くから出発したため、本日は天真との朝稽古をしていない。天真は戻ってきた頼久に稽古を申し出たのだ。 (妹御のことがあってから、熱心は熱心なのだが・・・・) 今回はその熱心さに少々困りもしたが、断ることもできず、あかねに会いにいくことをあきらめ天真の稽古に付き合うこととなった。 稽古が終わってから、井戸で体を拭いていると武士団のうちの一人から酒宴があると言われ、そのまま酒の席へ行くこととなってしまった。頼久とて神子を守る仕事があるからと断ったのだが、実はこの所、ほぼこういった席を断っているため今回はなかなかそれを許してもらえず、泣く泣く参加することとなってしまったのだ。仕方なしに顔だけ出して、途中で抜け、それから警護に就くこととし、自分が行くまでの警護を天真に頼んだのだ。 そして、今、やっと抜け出せた頼久は急いであかねの部屋に向かっている。 (きっともうお休みになられていることだろう・・・。お顔を拝見することはかなわぬかもしれぬ・・・。) 頼久はため息をついた。 一日あかねに会っていないというだけで、心の疲弊が大きい。
ようやく天真が見えてきた。天真も頼久に気づき手を上げる。 「よう、頼久。抜けて来たか。まあでも、こんな時間だし別に交代しなくてもいいんじゃねえの?オレまだ警護できるぜ?」 天真の言葉に頼久の眉尻がぴくりと動く。この役目を譲るわけにはいかない。 「いや、ここは私がやる。お前はもう休め」 有無を言わせない勢いで天真に言い放つ。 「そうか?じゃあ頼む。お前も毎日ホント役目に忠実だなぁ。」 ボソリと「まさに犬」と言いながら、基本的に人の心の機微に鈍い天真は、頼久の態度に何の疑問も持たずに自分の部屋へ戻っていく。 頼久は、その後姿を見送った後、後ろを振り返って御簾のかかった部屋を見る。 (この先に神子殿がお休みになられている・・・) まだ、この日一度も見ていない愛しい神子がすぐそこにいるのに、御簾で隠れてしまっていることに、もどかしさを感じる。 (神子殿――――・・・) たった一日だというのに、あの笑顔を見ることができないことが、そして手を伸ばせばすぐそこに愛しい神子がいるのに、会うことがかなわないということが頼久を辛くさせた。 (神子殿・・・・お会いしたい・・・一目だけでも) ほぼ無意識でゆっくりと簀子に上り御簾に手をかける。 その時。何か、ガサっというような音がして、頼久ははっと気づく。 自分が動いた時か、体のどこかが何かに触れたのか、音をたててしまったようだ。 (私はなにをやっているのだ) 一介の武士が、貴族の屋敷に勝手に上がるなど、まして自分の主の部屋に勝手に上がろうとするなど、許されることではない。 自分の行動に呆れて、あわてて普段の警護の位置、自らがいつも神子を守る位置に戻る。 (また明日になれば会えるではないか。まだ修行が足りんな・・・) ふっと自嘲したときだった。
「頼・・・久・・さん?」
自分の名を呼ばれ、心臓が大きく波打つ。 ふわりと、いつも心揺さぶられるさわやかな梅花の香りが鼻を擽る。 信じられない思いでゆっくりと振り返ると、そこには愛してやまない神子の姿があった。 「神子殿・・・」 ずっと一日見ることのできないでいたあかねの姿。 その姿が、頼久の目にしっかりと焼きついた。 半ば呆然とあかねを見ていると、そのままあかねは簀子に出て、頼久の横になる位置に座る。 「天真くんは?」 「・・・はい、私の所用が終わりましたゆえ、先ほど交代いたしました。」 あかねに問いかけられ、頼久はようやくぼんやりしていた意識がはっきりしてくる。 しかし、愛しい神子は俯いて口を開かない。 (・・・怒っていらっしゃるのだろうか。いや、そうだ。私は今日の自分の不出来を神子殿に謝らなければならない) 頼久はあかねに向き直る。 「今日は申し訳ありません、神子殿。お供もできず、警護も半ばからになってしまいまして。」 そう口を開くと、あかねは顔を上げた。そして、その瞬間、頼久は息を呑む。 あかねが輝くばかりのこの上ない笑顔を頼久に見せのだ。 「ううん、頼久さんにも用事があるんだし。でも、よかった、頼久さんに会えて。」 あかねは、頬を染めて恥ずかしそうに、また俯く。 あかねの潤んだ瞳の笑顔とその言葉に胸が一杯になる。 心臓がぎゅうっと締め付けられ、頭が真っ白になる。
「あのね、頼久さん。今日はね、いっぱい話したいことがあってね・・・・」
そう振り向いたあかねに、 頼久は、 気がついたらキスをしていた。
しばらく呆然と見つめ合っていたが、頼久はすぐに自分のしでかしたことに気づく。 (はっ、私は何を・・・・!?) 「神子殿、失礼いたしました・・っ!」 急いで跪き、神子に謝る。 「いえっ、そんな、頼久さん!私・・・・。」 神子はそう言うが、神子の言葉は、もはや頼久には聞こえていない。頼久はただ心の中で自分を叱咤する。 (私は何ということを・・・・っ) そんな時、あかねの手が頼久の頬に触れた。 その感触に頼久は顔をあげる。 あかねは、真っ赤になって微笑んでいる。 「あの・・・嬉しかったですから・・・。」 少し恥ずかしそうにそう言う彼女の姿。 それがまた頼久の心を捉えて、頼久も自然と微笑む。
(一日の肩の重荷が全てとれたようだ。) あかねの話を聞きながら、あかねの笑顔を見ながら頼久は思う。
恋人たち特有の小さな障害が募らせた想い。 それによって、この二人の関係も少しずつ進展していく。
頼久はまた今日一日を振り返ってみる。 (今日もなんといい日だったのだろうか。これも全て神子殿のおかげ・・・・)
平凡でなんでもない日に感じる幸せが、また明日、その次の日も、ずっとこの二人に訪れる・・・・
<終>
-------------------------------------------------------------------------------- 恋人たちの頼久サイドの話です。というか、ぜんぜん変化にとんでないので、頼久サイドを書く意味もあんまりなかったですが、ただ頼久さんが書きたかっただけです。 ボキャ貧だし、稚拙ですが、読んでくださった方ありがとうございました。(あすか)
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