あたしを見つけて
6.傷跡
牛が車を引いていく、ゆっくりとした、動物的な、大雑把な揺れが体に伝わってくる。
その揺れに身を任せながら、蘭は一人黙ったままのあかねを心配そうに見ていた。
(あかねちゃん・・・)
あかねと蘭、天真に詩紋は、今日自分たちの世界に帰る。
それは、蘭にとっては少し切ない思いもあるが、やはり嬉しいこと。
辛い思い出もあるこの世界、そして、大切なことを気づかせてくれた世界。
この世界で、いろんなころがあって、自分は成長したと蘭は思っている。
そして、その成長した自分は元の世界へ戻って、きっと幸福な生活を送るだろう期待で蘭の心はいっぱいだった。
あかねを見るまでは。
(あかねちゃん・・・)
ここを離れるということで寂しそうなあかね。そして、どこか切ない大人な表情をしたあかね。
もちろん、蘭の兄である天真も、詩紋も、ここでかけがえのない思い出を作ったのだから、寂しいに決まっている。しかしあかねのこの苦悩は違う。
蘭には、このあかねの様子が痛くこころに突き刺さる。
自分がここに飛ばされた時とは、状況は全然違うけれども、一人何かに耐えているあかねの様子は、あのときの自分を思い出す。
どうしようもない悲しさと、どうしようもない無力さ、そして、動けない自分・・・。
こんなあかねを見ているのは嫌だった。
あかねをこうさせた理由は分かっている。
この世界を離れる時は、刻一刻と迫っている。
(あかねちゃんは、どうするんだろう・・・)
牛車の揺れは、少しずつ神泉苑に近づいていることを予感させ、なんともいえない不安を掻き立てた。
(お兄ちゃんが・・・)
天真は今、外で牛車について歩いているんだろう、他の牛使いや武士達と一緒に。
(お兄ちゃん、なんで・・・)
蘭は先ほどまでの出来事を思い出す。
今朝、あかねは、左大臣邸の娘である藤姫に、「元の世界へ帰る」と告げた。
前日まで、ここに残ると言っていたため、誰もが驚いた。蘭がその話を間接的に聞いて、あかねの元にかけていった時には、藤姫が悲しそうに涙を流していたのを、現代の制服を着たあかねが優しくなだめていた。
蘭が来たことに気づいたあかねは、昨晩泣いたのであろうか、腫れた目をして辛そうな、しかしどこか優しそうな顔を蘭に向けて黙って頷いた。
それが、どこか大人びていて、あかねとは別人みたいで、なんだか胸が苦しくなり、蘭も泣きそうだった。
そして、急に屋敷全体がさらなる慌しさと、寂しさに包まれ、あかねが出発するための準備が行われた。
昼少し前には、最後だからということで立派な牛車が用意され、
蘭とあかねは、共にそれに乗り込み、儀式の行われる神泉苑に出発することとなった。
ちょうど、そんな時だった。
先に行ったと思われていた天真が、あかねと蘭の元にやってきた。
「お兄ちゃん?」
「・・・天真君。」
いつもより厳しい顔つきをした天真に蘭は戸惑った。あかねといえば、少し天真を避けているかのようなそぶりだ。
「あかね・・・いいのか?」
もちろん誰もが天真の耳にも入るとは当然思っていたが、ずっとあかねも戻るべきだと主張していた割には、あかねが戻ることに対して好意的な態度には見受けられない。
「お兄ちゃん、あかねちゃんが残るって言ってたことに反対してたじゃない・・・」
「蘭はちょっと黙ってろ。」
口を出すなといわんばかりの態度に、蘭はムッとなる。
あかねはそのまま黙って牛車に乗り込もうとしていた。
「あかね!本当にいいのか?頼久ともう一度ちゃんと話あった方がいいんじゃねえか?」
牛車に乗り込んだあかねは、御簾の陰からぽつりとした声で言った。
「天真君・・・いいの。」
「あかね!?」
天真は車に手をかけて御簾をぺらりとめくる。
蘭も天真を睨みながら牛車に乗る。
「お前、いいのかよ!?頼久は、お前のことを思って、言いたくもないことをいったんだからな!お前が残ったら、お前の身があぶないっつって泰明が言ったから、あいつ気にして・・・。頼久だって本当は残ってほしいんだ!こんな別れ方いいのかよ!?」
少し、間があってからあかねが口を開いた。
「・・・分かってるよ。頼久さんの想い。」
顔を上げたあかねは天真をまっすぐ見る。
「だから・・・いいの」
そう言った彼女の目は穏やかで
笑顔だった。
「あかね・・・」
天真は、あかねに神々しい光を見たような気がした。自然と牛車にかけていた手の力がぬけて、だらりと下にたらす。
「なんだよ・・・お前ら、二人して・・・。なんでそんな穏やかなんだよ。」
二人にしか分からないこともある、と天真は気づいた。もうとうに二人はどこかで分かり合っていたんだろうか。それでも、平気ではないはずだろうに。
お互いを想いすぎて、お互い自らが傷つくというのだろうか。
あかねはそんな覚悟をした目をしていた。
「あかねちゃん・・・」
悲しげに、それでも穏やかに微笑むあかねの横顔を見て、
きれいだと蘭は思った。
(あかねちゃん・・・)
先ほどの天真の言葉で気持ちが揺らいだら、嫌だな、と蘭は正直思う。
蘭にとってみれば、あかねと共に帰りたいといのが本音だ。
あかねも元の世界に戻ることとなって、その事実はうれしい。
しかし、あかねの様子が気がかりだ。
あの会話からすると、あかねと頼久の間には、何かあったのだろうか。お互い、何か無理しているんだろうか。
蘭にとっても、やっぱりこのままで別れてしまっていいのだろうか、という疑問も生まれてくる。
かといって、この世界に残るなど・・・
蘭はアクラムによって、この世界に呼ばれ、ただ一人、誰も知らない、まったく環境の違うこの世界で3年間も過ごした悪夢を思い出す。
自分だったら、こんな世界には残りたくない。
それは自分が、あかねが頼久を想うような、そういう人がここにいないからだろうか。
たとえいたとしても、このよく分からない世界に残るなんて、全てを捨てて、誰かについていくなど、できるものなのだろうか。
たった、一人を好きだという思いで全てを捨てられるだろうか。
(そんなの・・・不安でしかたがないよ)
でも、
世界が違うからこそ、
もう二度と会えないのだ。
一度別れてしまったら、二度と。
ずっと離れ離れで、決して交わることのなかった二人にとって、
今こうして出会い、一緒にいられたということは奇跡だ。
(あかねちゃん・・・)
戻ったほうがいい、戻らないほうがいい。
両方の気持ちが、すごくよく分かるから、
結論が出せなくて苦しい。
どうしてこのまま二人をそっとしておくことができないんだろう。
時と世界が違うというのは、なんと恐ろしいことなのか。
二人を隔てていたものが、大きすぎて、自分たち人は、その力に対抗すべきほど強い心を持ち合わせていない。
それでも・・・
蘭は思う。
(あかねちゃんは笑顔で幸でなきゃいけない)
もし、自分たちがここに来たことに意味があるなら
あかねが頼久と愛し合ったことに意味があるなら
二人の行く末は・・・幸せでなくちゃいけない。
<続>
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