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あたしを見つけて
5.情熱
「呼び出してすまないね」 「いえ・・・」 左大臣邸の一室。急遽しつらえられたその部屋には橘少将友雅とその友雅に呼ばれて参上した頼久の姿があった。 いつになく身を硬くしている頼久にくすくすと友雅は笑う。 「他の女房達は下がらせてある。もっと気楽にするといい。」 「はあ・・・」 気楽にと言われても、貴族と武士では身分が違う。ましてや頼久にとって友雅はいつも侮れない人物。そうそう気が抜けない。その友雅が頼久に用・・・というのであれば、なおさらのことだ。なぜかいい予感はしない。 「神子殿たちは神泉苑に向かったのかな・・・?」 「・・・そろそろ向かわれているかと思いますが。」 もし、もうすでに神子が天真や詩紋、ランを連れて神泉苑に向かったのであれば、今この屋敷には星の姫と友雅、頼久が残されていることになる。鷹通と永泉、泰明は直接向かい儀式の準備をしているはずだ。 神子達の世界へと続く門を開く儀式は日の沈む前には行われる。 「まだ少し時間があると思ってね。どうしても君に確かめておこうと思い、呼んだのだ。」 頼久はさらに頭を下げ、緊張感をいっそう強めた。友雅の話とは・・・神子の進退についてに決まっている。 「君の性格・・・かな」 「は・・・?」 友雅の発した言葉の意味が分からず、頼久は頭を上げる。友雅はそんな頼久の顔を楽しそうに、そして悲しそうに見る。 「君の精神力は見上げたものだが・・・どうやら君は自分を追い込む性格のようだ。いつも辛く厳しい方を選ぶのはそのためかな。恋においても、辛い片恋が性に合うらしい」 ようやく遠まわしに今回のことを言っているのだと気づき、頼久は再びうつむく。 友雅のこういうところが苦手なのだ、と頼久は改めて思う。自分でははっきりと認識していない所を的確に当てられる。この人の洞察力はすごいと実感させられる。 「頼久と神子殿が決められたことだからね、よけいな口出しはしないが・・・」 友雅は緩めていた双眸をふっと細める。その目は今やもう決して笑ってはいない。 「頼久・・・大人になるとは悲しいことだとは思わないかい?」
「大人になれば物事を複雑に考えすぎてしまう。まるで、心と頭は別々のようだ。」 友雅にとって頼久の出した結論というのは何の疑問もあるものではなかった。むしろとても納得のいく答であった。 「何か・・・そう岐路に立たされたとき、私たちは、正しい道を探そうとしてしまう。正しいのはどれか、と。しかし若い者は違う。行きたい方へ行く。」 心のままに・・・求めるものを、そして自分自身を捧げる・・・ それがきっと情熱なのだろう、と友雅は思う。 いつも冷静に客観的に物事を捉えてしまう友雅にとって、やはりそれは自分には無いものだった。 (桃源郷の月・・・か) 想う相手がいるというのに、なぜその情熱を抑えねばならない? 大人になればなるほど、こうも切望してしまうのはなぜだろう。 そして、大人になればなるほど、どうしてこうも、複雑に生きてしまうのだろう。 「頼久・・・正しい道とは本当にあるものだと思うかい?正しいと思って選んだ道は本当に正しいのだろうか?そもそも、正しいとは誰が、何が決めるのか。」 正しいということがあれば、それは、予め自分に用意された道があり、それに沿うことが正しいといえるだろう。 しかし、人々の前に道は用意されているのだろうか? 正しい道を選ぼうとするものは、自分が進むべき道・・・つまり、自分に用意された道はどれか、と探す。 逆に、心に従って進むものは、自らが選び、それを自らものとし、そこから道が生まれる。 「友雅殿は・・・私の決断を間違っているとお思いで・・・?」 頼久には友雅の言いたいことがよく分からなかった。それも当然だ。友雅は頼久に言うというよりも、むしろ独り言の様に語っていたのだから。 「だから、私にも正しい道は分からないというのだよ。きっと君が決めることだと思うからね。」
「ただね、頼久。もう一度しっかり自分と向き合うといい。君が思っているよりはるかに事態は重要なんだ。一度きりしかない機会だ。一度選べば、もう引き返すことはできない。」
(私の気持ち・・・) それに従ってよいものだろうか。 頼久は友雅の言葉を反芻しながら庭を歩く。 自らの生命を主に捧げ、主の命に従って生きる武士。その武士の家に生まれた頼久にとって、自らの望むことに従うというのは、どこかしら抵抗のあることだ。 そして、自らの思いで動いたことで、取り返しのつかない過ちを犯してしまった。 (兄上・・・) それ以来、頼久自身、「正しい道はどれなのか」ということを常に念頭においている。 同じ過ちを繰り返すことを恐れ、 いつからか自分は自分の気持ちを殺すようになっていた。 あかねにもそれを指摘され、叱咤されたことがある。 (神子殿は、私が自分の気持ちで行動するよう仰せになられた。) 自分の気持ち――― それは、どんなことがあっても、いつも神子の傍で、その身を護りたい・・・
頼久は広い庭に独り佇む。
封印したはずの熱が燻る。 決意が揺らぐ。
太陽はもう、その日一番高いところに上がっていた。
<続>
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