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あたしを見つけて
2.最後 (頼久)
静かな夜が訪れる。 先ほどの嵐のような出来事のせいで、今はとても、ただ静かに、落ち着いて感じられた。 実際、心中は穏やかではないけれど。
ずっと、・・・もうずっとざわめいていて苦しい。
何も考えられないというのは、こういうことを言うのだろうか。 頭には、ずっと先ほどの出来事がこびり付いて離れない。そのことばかり考えてしまうというのに、どこかでそれを拒否している自分もいる。 ただ重く、暗く、ぐるぐると思考が同じところで留まっている・・・そんな感じだ。
頼久は振り返って、自分の守っている部屋を見た。 (お休みになられたようだ・・・) 夜も遅いことだし、そしてきっと泣きつかれたのであろう。
先ほど・・・ 少女がいつものように、簀子縁に出てきて二人で会話をしていたとき、 うらはらな態度と言葉で彼女を傷つけた。 ここに残ると言った彼女を拒否したからだ。 頼久は元々、京を救うという重大な任務を押し付けてしまった彼女を守るため、そして彼女を無事任務から開放し元の世界へ返すために闘ってきた。 京に平安が訪れた今、 彼女をここに残すわけにはいかない。 ―――彼女自身の世界を捨て、自分のために残るなど。 ―――彼女はようやく鬼から、京から解放されたというのに・・・。 あかねが、慣れないこの地で体調を崩しても、それを笑顔で隠しながらがんばっていたこと。京の人々の苦しみを背負ったり、鬼との戦いや天真の妹の蘭の悲しみを受け入れたりしたことで、その板ばさみになってしまったこと。怨霊にまで情けをかけていたこと――そして、それらによって彼女自身が傷ついてしまった・・・ということを頼久はよく知っている。 だからこそ、全てが終わった今、身が軽くなった彼女が無事もとの世界へ戻り健やかに幸せに暮らすこと、それが一番よいことなのだ。 そう頼久は結論づけた。 自分の恋心を押し殺して。 だから、残ると言ってくれていた彼女の意見を聞けなかった。
頼久の拒絶に、彼女は泣き崩れた。 頼久にはどうすることもできなかった。 ただ、黙って跪いているしか。 長いこと泣いていた少女を、再び部屋へ戻って休むよう促すと、 彼女は、黙って泣きながら自ら部屋へ戻った。 それがまた、頼久の心を痛めた。 しばらくは、御簾の向こうから小さな嗚咽が聞こえていたが、 今はとても静かになっている。
ずっと跪いて俯く自分の前で泣きじゃくっていた少女。 その泣いている姿を、顔を上げて見ることはできなかった。その声も聞いていたくはなかった。 少女をこんなに傷つけ泣かせているのは自分だということに、 心は壊れそうだった。
本当は―――
泣いている少女のその姿を強くこの腕に抱き寄せ、きつく掻き抱きたかった。 頬を流れる涙をぬぐい、そのまま熱く口付けたかった。 そして、できるなら、ずっと溶けるように熱く抱き合いたかった。 泣いている彼女に許しを請い、 本当は違うのだと。今言ったことは全て嘘だと言いたかった。 ここに、残って欲しいと―――ずっと傍にいたいと――― そう言いたかった。
残りたいといってくれた時・・・どんなに嬉しかっただろう。 一生、あかねの傍にいられる・・・そんな夢を一瞬だけでも見させてくれた。 それは、とても心地よく、心が打ち震え、全てを投げ打ってもいい、とさえ思えた。 あの時、自分は最大に幸福だったと、頼久は想う。
彼にとって、彼女は全てだった。
焦がれて焦がれて仕方がない、愛しい少女。 想えば、胸は熱くなり、 いつも傍に感じる彼女の柔らかい肌の温もり、触れた箇所に残るしびれる余韻・・・ 心が、体が、頼久の全てが彼女を求めている。
頼久は、目の前にある御簾の向こうに意識をおく。
「・・・神子殿・・・・・」
自然と口にしてしまう、その言葉。 彼女が自分の前に現れてから、ずっと呼び続けたその言葉。 一体、何度そう呼んだだろう。 彼女は、光のように自分の心の中に現れ、時には厳しく、そして優しく、自分を大きく包み込んでくれた。その花車な体で。 その優しい言葉に癒され、その輝く笑顔に魅せられ、 ずっと、傍に仕え、お守りすることが、心からの喜びで、幸せだった。 ずっと傍で、ずっと、一生――守りたいと思っていた。
しかし、それも今日まで。この時まで。 明日になれば、彼女は自分の世界へ帰るだろう。 どんなことをしても二度と会うことはかなわない。 もう、二度と。
「神子殿・・・」 呼んでいるつもりはない。その形のいい口からぽつりと漏れるのは、完全に独り言だ。 頼久は、ただその言葉を言いたかった。 そうでもしないと、自分の内にある熱に潰されそうだったから。
「神子殿・・・」
どんどん口をついて出てくるその言葉。
「神子・・・殿・・・」
それは、まるで自分と愛しい神子を繋ぎ留めるかのように そして、自分の思いを吐き出すかように・・・
「神・・子・・・・あ・・・・」
頼久は自分の想いを言霊に乗せる。彼女を求めるその想いを。
「・・・あ・・かね・・・・殿・・」
その名を口にすればするほど、溢れてくる想い。 頼久は、ありったけの想いをこめてその名を呼ぶ。
「あかね殿・・・・!」
きっと、もう彼女には届かない。それでも彼女を想う事はやめられない。
―――あなたに与えたこの傷は、ずっと残るだろうか。 ―――その傷跡と共に、私のことも覚えていてくださるだろうか。
―――いや、 ―――例え、あなたが私を忘れたとしても、 ―――あなたが、他の誰かと結ばれたとしても、 ―――私はあなたを想い続けるでしょう。
―――唯一無二の清らかな存在。 ―――あなたは、私の一生の中で、ただ一人、光輝く、愛すべき人。
「あかね殿・・・」
そして、 一礼してから、御簾の向こうを、力強い目つきで真直ぐ見据えて言った。
「―――あかね殿・・・お慕いしております。」
<続>
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