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あたしを見つけて
3 相思
その日、いつも通り朝一番に目通りした星の姫は、その部屋に入った途端、驚いて思わず手にしていた扇を落とした。 「み・・・神子・・様・・・?」 神子のいつもと違う姿に呆然とする。 「あ・・・藤姫・・・。おはよ・・・」 あかねは、訪れた藤姫に朝の挨拶をする。しかし、明らかにその様子は違う。 いつも通り明るく笑顔での挨拶なんてできない。 それは、ここでこうして藤姫と挨拶を交わすのが最後だから。
別れの日であるから。
藤姫はきっと、自分が帰ることを望んでいないだろう。 残りたいといったあかねを、藤姫は心から喜んでくれていたから。 だからこそ、申し訳ない気持ちと、寂しい気持ち、悲しい気持ち・・・、そして今までの思い出が膨らんで胸が押しつぶされそうになる。 別れとは、どうしてこんなにも無情に訪れるのだろう。 いつも人の力の及ばない、絶対的な力を持っている。 どんなにあがいても、回避できない・・・それが「別れ」だ。
「神子様・・・。そのお召し物は・・・?」 藤姫の視線は、あかねが今着ている、その「制服」から離れない。 「あのね・・・藤姫・・・」 あかねはずっと考えた台詞を言おうとする。 昨晩、寝ないで考えた台詞を。 ―――そう、昨晩は一睡もしなかったのだ。
ずっと考えた。
頼久のことを。 そして、自分がどうするかを。
それは、声が聞こえたから。
あの人の声が聞こえたから。
―――あかね殿・・・お慕いしております・・・
その時、あかねには、頼久のすべての想いが分かった。
そして納得したのだ。 どんなに好きあっていても一緒にいられないこともあるということを。 一緒にいても幸せでない人もいることを。 一緒にいたい・・・しかし、想い合うとは、決してそれだけじゃないことを。 頼久は、きっと自分を一生愛してくれるのだろう。 そして、自分の「頼久が好き」というこの気持ちも 決して変わりはしないだろう、ということを。
間違っていると言われるだろうか?
しかし、自分は愛する人を信じている。 愛する人が、苦しんで出した答えなら、 間違いではない。 そして、どんなことがあっても 自分の気持ち―――頼久を想う気持ち―――が全てだ。
きっと、永遠に自分たちは愛し合っていくのだろう。 たとえ、時空が違っていても。
「藤姫、私、残るって言っていたけど・・・やっぱり帰ろうと思う。」 藤姫がその言葉を聞いて一気に青ざめた。 「神子様!?」 少しヒステリックに声を高くする。 制服を見た時に、きっとその悪い予感を感じたのだろう。その時から感じていた不安が一気に爆発した。 「どうして・・・!?神子様は頼久と共におりたくて、ここに残ると言ってくださってたではありませんか!?」 目を潤ませて声を荒げる姿は、どこか幼く、いつも自分より年上のようであった彼女が、今はすごく小さく、本来の年齢相応の子供に見えた。 あかねはなぐさめるように、藤姫の手をとる。 「あのね、これは頼久さんとも、ちゃんと話し合って決めたことなの。私、自分のわがままで残りたいって言っていたけど、ここは、やっぱり私達の住んでいた世界とは違う。頼久さんも、心配していて・・・。私は、京を救うためにここに来たのだから、それが終わった時、やっぱり在るべき世界に帰るべきだと思うから・・・」 元々賢い姫だ。藤姫にもあかねの言わんとすることが分からなくもない。しかし、やはりあかねを姉のように慕っていた彼女にとって受け入れがたい現実だった。藤姫は、驚きと悲しみで引きつった顔をふるふると横に振る。 「神子様・・・。藤は神子様にずっとここに居て欲しく思っておりました!」 あかねとて、まだここに残りたいという気持ちは強い。頼久と共にありたいという気持ちは全く消えていない。そして、昨晩から続く、重く苦しい想いも消えはしない。 しかし、なんとか自身を奮い立たせる。 納得した気持ちを揺るがしたりして、自分で後悔することなど、決してこの先ないように。 「ごめんね。藤姫。・・・私藤姫のこと絶対忘れないよ・・・。八葉のみんなのことも。ここの世界のことも。あった出来事も。全部・・・忘れない。絶対」 まるで、自分の決意のように、この世界全てに誓うように、あかねは強く言う。
いろんなことが頭の中を駆け巡った。 ここに来たときのこと、闘ったときのこと。 でも、なぜだろう。 思い出というのは、意外と軽いもののようで、 別れのその時には、その大切さを感じさせない。 ただ、頭の中のテレビモニタ画面に映し出されるだけ。 見終わったその映像は、ただ流れていって心に残らない。 あかねは、不安と焦燥に駆られる。 もっと心にたくさん刻みたいのに、 過去の出来事はまるで空気のようにあかねの心をすり抜けていく。 最後だというのに、そこまで思い出に浸ることができない。
人生の中、人、物、場所・・・どんなものにも出会いと別れがあるが、 それらは全て、やはり通り過ぎるだけなのだろうか。 その流れの中の一点一点を永遠にすることはできないのだろうか。
―――ずっと忘れたくないの・・・
視界が揺らいだと思ったら、頬に暖かい涙を感じた。 どんなに泣いても、涙は枯れることはない。 ただ、目から溢れてくる。 今なら何時でも、何処でも、どれだけでも泣ける。 あかねは、こんなにも涙は流れるものなのかと初めて知った。
「藤姫。元の世界へ帰るための儀式をするね。神泉苑に・・・行こう」 外出の意向を藤姫に示して、あかねは、その日初めて外へ目を向ける。 いつもなら、庭に控えているその姿は やはり見当たらなかった。
<続>
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